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2025/03/04 雉岡城発掘速報パネル展 | ||
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雉岡城(きじがおかじょう)は、埼玉県本庄市にあった日本の城で、 埼玉県指定史跡となっており、。別名を八幡山城(はちまんやまじょう)と 言います。 戦国時代は、五十子(いかこ)陣(児玉郡北部)鉢形城を支える防衛拠点で 戦国時代の初め頃、関東地方における戦国時代の始まりとも言われる 「享徳の乱」が起こったあたりに築城し、山内上杉氏の家臣、 夏目定基(なつめ さだもと)が城主となりました。そして、1560年代に 後北条氏の支城となりました。 今回の展覧会では、「雉岡城とその周辺の歴史」、雉岡城の位置、 大正・昭和の頃の白黒写真、古絵図、地籍図、復元図、 福田家文書と雉岡城、発掘調査と雉岡城についてのパネルや絵図、写真 などが展示されていました。 古絵図は、なんかこういう図はテレビで見たことがありますね。 雉岡城のものではないですが。地籍図は、昔の地図みたいなものですかね。 雉岡城の発掘は、令和6(2024)年11月26日から雉岡城跡内で開始されたこと が書かれており、盛土の上層やや下部から16世紀中葉以降の「かわらけ」 が検出されたことが書かれていました。 「かわらけ」ですが、日本の中世から近世(平安時代末から江戸時代)に かけて製作・使用された素焼きの土器で、その中でも特に碗・皿形の 小型器種を指すものです。 今回見ていて、昨年の11月から発掘が開始されたばかりで、少しは成果を 上げていますが、発掘はまだまだこれからかなという印象でした。 今回は、埼玉県本庄市に雉岡城という城があって、様々な資料が見れたのが 良かったです。 <余談> 本当は、この展覧会は行く予定ではなかったのですが、先月にもらった パンフレットが水浸しになってふやけてしまったので、もう一度、綺麗な物を もらいに行くことが最大の目的でした。そして、「古代エジプトの棺と埋葬」、 「古代の児玉・深谷地域」の展示物の写真を撮って、この展覧会も見て 写真を撮ってこようと思い、今回行ってきました。 |
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write:2025/03/08 | rewrite:- | update:2025/03/11 |