2025/02/21 実録 桜田門外の変
最初に、井伊直弼という当時の最高権力者の暗殺は、幕府内部で動揺させた
ということが書かれていました。

江戸幕府が1825年(文政8年)に発した異国船打払令は、中国で起こった
アヘン戦争で中国が敗れたことがきっかけで批判が高まり、外国船が来た時は
燃料と食料を渡して帰ってもらうという「薪水給与令(天保の薪水給与令)」
が1842年(天保13年)に発令したことが書かれていました。

あと、ペリー来航についても書かれており、ペリーの艦隊は、アメリカの
ノーフォーク港から出発し、ポルトガルの自治領のマデイラ諸島を経て
アフリカ南部の喜望峰を通過し、セイロン(スリランカ)、シンガポール、
香港、上海、琉球(沖縄)を通り、浦賀(神奈川県横須賀市東部)に到着した
ことが書かれていました。

このペリーの艦隊の航路は意外でした。てっきり太平洋を横断したものだと
思っていたのですが、全く逆のルートでしたね。

あと、黒船の絵や艦隊の乗組員の絵、戊午の密勅(ぼごのみっちょく)、
安政の大獄についての解説もあり、100人以上が処罰され、これは幕府の威信を
示したように思えたが、むしろ幕府への信頼を失い、人材を喪失したと
いうことが書かれていました。確かに、安政の大獄は良くなかったかも
しれませんね。

それから、井伊直弼の暗殺について、徳川斉昭がなだめたのを聞かず、
水戸藩を脱藩した浪士たちによって3月3日に暗殺が決行されたことが
書かれていました。あと、井伊直弼を襲撃した18人の名前もリスト化されて
いました。

あと、近江彦根藩井伊家上屋敷跡の発掘調査についても書かれており、
そこから発掘された鉢、瓦、茶碗、徳利(とっくり)、お猪口(おちょこ)
などが展示されていました。

それから、月岡芳年の作の浮世絵「安政五年三月三日水府ノ脱士等芝
愛宕ノ山上ヘ集会ニ及ビ旧主ノ鬱憤ヲ散ゼン為大老彦根侯ヲ撃殺ト雪中ニ
密計ヲ評定シ余波ノ宴ヲ催ス図」も展示されており、本で見たことある絵画
だと思いました。桜田門外の変を描いている絵画としては有名ですね。

あと、襲撃者のその後や、襲撃者の指名手配の絵も展示されていました。

今回の展覧会は、異国船打払令から薪水給与令、ペリー来航や
日米修好通商条約、安政の大獄から桜田門外の変に至るまでが見れてとても
興味深かったです。ペリーの艦隊の航路は、僕が思っていたのとは逆で意外
でしたし、襲撃者のその後については、2010年に公開された映画
桜田門外ノ変」を思い出しました。
write:2025/02/21 rewrite:- update:2025/03/11


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