2025/02/01 古代の児玉・深谷地域
今回は、奈良時代、平安時代の遺物が展示されていました。

本庄市の大久保山遺跡と浅見山I遺跡は、瓦塔や鉄鍬が展示されていました。
児玉郡美里町から出土したものは、瓦や鏡のような瓦が展示されていました。
寺院などの仏教施設の遺物でした。

埼玉県児玉郡の皂樹原(さいかちはら)遺跡ですが、由来は、「サイカチ」
という樹木がたくさんあったことから名づけられたということで、出土した
ものは、軒丸瓦が展示されており大きかったです。灰釉陶器は、奇麗でしたし、
緑釉陶器は、薄い緑で奇麗でした。

あと、土師器(はじき)、須恵器(すえき)も展示されていましたが、土師器、
須恵器と言えば、弥生時代にのみ使われていたと思っていましたが、奈良時代、
平安時代にも使われていたのですね。これは驚きました。「弥生時代にのみ」
というのは、僕の偏見、固定観念でした。

そして、墨書土器(鉢)ですが、須恵器に文字が書かれている物ですが、
こんな物があったんだと驚きました。これは、日本に文字が普及した奈良時代、
平安時代ならではだなと思いました。

流動滓(りゅうどうさい)や粒状滓は、炉壁(ろへき)の内外で生成された
不純物なのですが、なんか溶岩が冷えてできた物みたいな感じがしました。

児玉郡上里町の遺跡では、土師器(甕)、土師器(台付甕)は、シンプル
ですが、大きくて奇麗でした。須恵器(高盤)は、白くて奇麗でした。

深谷市域は、西部が榛沢(はんざわ)郡、東部が幡羅(はら)郡に分かれます。
深谷市には、熊野遺跡、下郷遺跡、幡羅遺跡があります。
榛沢郡にある「榛沢郡家(はんざわぐうけ)」という郡役所についても
書かれていました。緑釉陶器は、薄い緑で奇麗でした。

熊野遺跡から出土したものは、円面硯、蹄脚円面硯は、形が奇麗かつ
カッコイイです。

下郷遺跡から出土したものは、細かい土器や土師器が多かったです。
幡羅遺跡から出土したものは、饗宴の残滓は、動物の骨で、こんな物が残って
いたのだなと思いました。「残滓」の読みですが、「ざんさい」とも「ざんし」
とも読みます。須恵器(甑)は、大きくて奇麗でした。
あと、幡羅遺跡のマスコットキャラのハラ君の人形もありました。

寺山廃寺から出土したものは、瓦塔は、小さくて細かいです。
風鐸は、錆びているが、形が奇麗です。

天神林II遺跡から出土したものは、三脚土器は、シンプルで大きかったです。

今回は、埼玉県北部の児玉地域・深谷地域の遺物を見てきましたが、
寺院などの仏教施設の遺物が発掘されているのが興味深かったですし、
土師器、須恵器が奈良時代、平安時代にも使われていたのは驚きました。
あと、墨書土器という奈良時代、平安時代ならではの遺物もあったのが
驚きでした。
write:2025/02/07 rewrite:- update:2025/03/11


Back

Archive