28.2025年1月17日 イコンにであう ギャラリートーク(第4章、第5章)
今回の日記ですが、東方正教会で崇敬の対象となっているイコンについての
もので、本当はカトリックではないのですが、同じキリスト教ということで、
こちらのコンテンツに載せました。


1月17日は、玉川大学教育博物館で開催された「イコンにであう」の
ギャラリートークに行ってきました。そのギャラリートークの内容です。

<第4章 教義イコン・祝祭イコン>
●45.聖三位一体(至聖三者)●
三位一体とは、父なる神、神の子イエス・キリスト、聖霊のことで、
このイコンは、旧約聖書のアブラハムの饗応の場面を描いたものだと
いうことを話されました。

●48.祝祭のイコン●
クリスマスや復活祭(イースター)など12の祝祭日が描かれており、復活に
関わるイエス・キリストの生涯を周りに描いたカレンダーに近いイコンで、
18世紀頃に描かれたもので、生活と祝祭が密接に結びついていることを
表しているイコンだということを話されました。

●49.最後の審判●
キリストの再臨、キリスト教の終末論を描いたもので、右下に1815年に
ロシアのイコン画家マカール・ドゥルージニン描いたことが書かれています。
全体を6つの段で、天上、地上、地獄といった6つの世界を描いています。

天上の中心には父なる神がおられ、裁判の権限を子のキリストに与えて
罪をはかって、人々を天国に行くか地獄に行くかを裁き、地獄行きの人たちの
行列や地獄で火や氷で苦しんでいる人たちが描かれていることを話されました。

<第5章 イコンを描いた日本人-山下りん->
山下りんは、茨城県笠間市の出身で、工部美術学校に入学し、同窓生の
山室政子の影響で正教会に改宗しました。聖名(せいな。東方正教会で言う
洗礼名のこと)はイリナ。工部美術学校は1880年(明治13年)に退学します。

その後はロシアに渡り、イコン描き方を学んでいましたが、気の強い人で、
修道女とケンカし、これまでのイコンは自分には合わない、象徴的なイコンは
良くないということで、エルミタージュ美術館で模写したりしていましたが、
病気のため、本当は5年滞在のところを丸2年滞在して1883年(明治16年)に
帰国しました。その後は日本でイコンの製作をしていました。

今回展示しているイコンは、玉川学園に寄贈されたものですが、汚れていた
ため、修復をしたこと、山下りんの画風は、写実的な油絵、油彩だということ
を話されました。

●50.聖大ワシリイ、神学者グレゴリィ、聖金口イオアン●
聖大ワシリイは、4世紀の最も重要なキリスト教神学者の一人のカイサリアの
バシレイオス(330年頃~379年)で大バシレイオスとも呼ばれる人物。

神学者グレゴリィは、、4世紀のローマ帝国カッパドキア属州のキリスト教
神学者、聖職者のナジアンゾスのグレゴリオス(325年/330年~389年)で
日本ハリストス正教会では神学者グリゴリイと呼ばれ、日本のカトリック教会
ではナジアンズの聖グレゴリオ、あるいは聖グレゴリオ(ナジアンズ)司教
教会博士と呼ばれています。

聖金口イオアン(345年または349年または354年 - 407年9月14日)は、
東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスのキリスト教会の主教で、
398年から404年まで主教を務めたシリアのアンティオキア出身の人物です。
write:2025/04/08 rewrite:- update:2025/04/22


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