27.室町という支離滅裂な時代の象徴、正平一統
正平一統(しょうへいいっとう)ですが、これは、室町時代、南北朝時代に
あった出来事で、北朝に付いていた足利尊氏が南朝についたことで
北朝の天皇が廃位されて一時的に南朝に天皇家が統一される出来事を言います。

そうなったいきさつとしては、観応の擾乱(かんのうのじょうらん)を
語らないといけないのですが、これは、足利尊氏と弟の足利直義の兄弟喧嘩
です。足利氏の執事の高師直(こうのもろなお)は、南朝方を撃破して
権勢を誇っていましたが、ばさら大名として傍若無人な振る舞いも多く、
秩序を第一とする足利直義と対立、衝突するのですが、尊氏の仲介で
一時的に収束するのですが、今度は、嫡男の義詮(よしあきら)を後継者に
考える尊氏と尊氏の庶子の直冬を養子とした直義と対立します。

そして、直義は南朝を味方に付け、師直を討ち取ります。高師直を討ち取った
直義は尊氏と和議を結びますが、今度は尊氏が直義排除に動きます。
その時に尊氏は南朝方に付きます。そして、南朝から綸旨を受け取った尊氏は
直義を追い詰めて降伏させ、その後に直義は亡くなります。

これが観応の擾乱のいきさつですが、その時に一時的ながら尊氏が南朝方に
付いたのですが、その時の条件として、北朝の天皇の廃位と政権移譲、
後醍醐天皇が偽物と言っていた三種の神器の返還が出され、尊氏はそれを
受け入れたために、一時的に天皇家は南朝に統一され、北朝方の光厳上皇、
光明上皇、崇光天皇、皇太子の直仁親王が南朝方に連れ去られることに
なります。これについては、今度は南朝方が尊氏排除に動いたため、
4ヶ月後に北朝方に戻り、上皇、天皇たちも救出されることになりますが。
これが正平一統と呼ばれる出来事です。

そしてその時に、北朝方が取った行動は、無理矢理天皇を作ることでした。
三種の神器がない場合、上皇の院宣によって天皇に即位することができたの
ですが、(それで即位した最初の天皇は後鳥羽天皇ですね)今回はその院宣を
出してくれる上皇もいないため、そこで後伏見上皇の女御(天皇の妃)である
広義門院を治天の君として院政を行っていたこととし、その院宣によって
崇光天皇の弟の後光厳天皇を即位させました。こんな感じで無理矢理天皇を
作りました。

この正平一統ですが、尊氏が一時的ながら敵方に付いたり、後光厳天皇を
無理矢理即位させたりなど、まさに支離滅裂な室町時代を象徴する出来事だと
思います。その後、6代将軍の足利義教事件である嘉吉(かきつ)の乱や
応仁の乱で8代将軍の足利義政の弟の義視が細川方から山名方に寝返るなど
東西両軍のトップがそっくり入れ替わるという混迷状態に陥るなど、
さらには10代将軍足利義稙の追放をきっかけに起こった戦国時代など、
それら支離滅裂な出来事の最初が観応の擾乱であり正平一統だったように
思えます。

前にも書きましたが、この時代の登場人物として、
「日本国王」源道義(足利義満)、天魔王(足利義教)、
押大臣(おしのおとど)(日野勝光)、御方公方(日野富子)、
半将軍(細川政元)、流れ公方(足利義稙)といった面々がいますが、
これも、室町幕府が盤石な権力を確立できなかったために起こった
支離滅裂の象徴とも言えるかもしれないです。

そんな感じで、室町幕府というのはリーダーになる人物にとっては、
反面教師とするべき時代なのかもしれません。そんな気がします。
write:2021/03/06 rewrite:- update:2021/04/18


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