英一蝶(はなぶさ・いっちょう、1652~1724)は元禄年間(1688~1704)
前後に、江戸を中心に活躍した絵師です。はじめは狩野探幽の弟・安信の
もとで教育を受けますが、菱川師宣や岩佐又兵衛らに触発され、
市井の人々を活写した独自の風俗画を生み出しました。この新しい都市風俗画
は広く愛され、一蝶の画風を慕う弟子たちにより、英(はなぶさ)派と
呼ばれる一派が形成されました。
英一蝶ですが、僕は大河ドラマの「元禄繚乱」で登場したことで知りました。
そして、片岡鶴太郎さんが演じておられたのが印象深かったです。
●多賀朝湖(たが・ちょうこ)時代●
四条河原納涼図は、素朴だが奇麗で、人々が生き生きと描かれています。
投扇図は奇麗でした。雑画帖は、牡丹や牛の絵が奇麗でした。
猿猴捕月図はシンプルで奇麗、紫式部は、本当に奇麗でした。
立美人図は、なんか見返り美人を彷彿とさせる感じで奇麗でした。
山水堂宇図は、風景が奇麗でした。地蔵菩薩像は、色が鮮やかですね。
人物雑画巻は、人々の動きや躍動感が良いです。吉野・龍田図屏風は、
素晴らしく奇麗でした。
あと、解説として、八丈島に流刑になったことや作品が新島にも伝わって
いたこと、俳人の人たちとのつながりも書かれていました。
●島一蝶(しまいっちょう)時代●
英一蝶が、八丈島に流された時に描かれた作品を「島一蝶」と呼ばれ、
とくに高く評価されています。
神馬図額は、黒一色で力強く描かれていると思いました。大森彦七図額は、
色鮮やかでした。「源氏物語 箒木巻之図」素朴な感じでした。
虚空蔵菩薩は、全体が茶色で暗いのですが、なんか不思議な感じがします。
松風村雨図は、木と2人の人が生き生きと描かれていrます。
梅田藤右衛門宛一蝶書簡は、くずし字で字が細かいです。これは、七福神図を
梅田家の火災見舞いとして贈られたことが書かれています。
吉原風俗図巻は、建物と人々の躍動感があります。
●英一蝶(はなぶさ・いっちょう)時代●
宝永6年(1709)、綱吉死去にともなう将軍代替わりの恩赦によって、一蝶は
12年ぶりに江戸への帰還を果たします。一蝶は、画名を「英一蝶」に改め、
精力的に制作に励みます。名の由来は、中国戦国時代の思想家・荘子の
「胡蝶の夢」で、島での生活や恩赦の知らせが夢か現実かと思い悩む心情を、
この説話になぞらえたとされています。
木立に桜図は、素朴で奇麗でした。大井川富士山図、花鳥図、薊図(あざみず)
は、奇麗でした。舞楽図は、人々が踊っているさまを生き生きと描かれていて
奇麗です。雨宿り図屏風は、シンプルで奇麗でした。「雨宿り」は、一蝶に
とって特別な主題で、晩年に大作2点を描いています。もう1つの方は、
少しくらい感じが良かったです。
江口西行法師図は、細かく描かれている感じがしました。釈迦十六善神図は、
色鮮やかで神々しく奇麗でした。「舞踊図 唐獅子図」は、黒一色でシンプル、
力強いです。六歌仙図屏風は、シンプルで素朴な感じでした。
英一蝶像は、晩年の時のようでなんか世の中のほとんどを知り尽くしたかの
ような印象を受けました。
最後に、一蝶の辞世の句「まぎらはす 浮世の業の色どりも 有とて月の
薄墨の空」が書かれていました。
●総括●
英一蝶の作品ですが、わりと素朴でシンプルだが細かい所はしっかりと
描かれている印象を受けました。特に人々を描く時は、生き生きと描かれて
おり、その躍動感のある絵が本当に良かったです。あと、背景は、あまり
描かずに必要最小限だけ描いているようにも思えました。英一蝶については、
大河ドラマの「元禄繚乱」でのイメージが強いですが、こうして絵を通して
英一蝶の生き様のようなものが感じられる、そんな展覧会だったと思います。
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