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2016/11/20 杉原千畝と命のビザ シベリアを越えて | ||
杉原千畝ですが、日本の外交官で、第二次世界大戦中、リトアニアの カウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害により ポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちのために、1940年7月から 8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、 およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られます。 その避難民の多くが、ユダヤ系でした。 展示ですが、ビザの発給リストやパスポートが展示されていましたが、 こうしてたくさんのユダヤ人の命を救ってきたのだなと思いました。 外務省から注意を受ける以前も以後も発給を続けたというから驚きです。 あと、「杉原リスト―1940年、杉原千畝が避難民救済のため人道主義・ 博愛精神に基づき大量発給した日本通過ビザ発給の記録」が2015年に 世界記憶遺産の候補になったこともパネルに書かれていましたね。 アウシュビッツの写真があったり、ポーランドのワルシャワでもゲットーや アウシュビッツのような収容所があったりと本当に悲惨だったのだなと 思いました。ユダヤ人たちは、モスクワ→シベリア→ウラジオストク →敦賀→神戸→上海と渡っていったようですね。 それから、リトアニアに「スギハラ通り」があり、そこに「C.SUGIHAROS」 と書かれていたのが印象的でした。あと、エルサレムに杉原千畝を記念して 植えられた木や「SEMPO SUGIHARA」と書かれた看板も印象的でした。 「SEMPO(センポ)」というのは、本当は千畝は「ちうね」と読むのですが、 外国人には発音しにくいため、「せんぽ」と教えていたみたいです。 あと、旧日本領事館の写真や日本領事館の門の模型もありましたね。 外交官としての生命をなげうってまで、そして本当に命を懸けて 6000人以上ものユダヤ人たちを救ったのですから、やはりこの人の やったことは素晴らしいと思います。日本にもこのような素晴らしい人が いたということをこうして記憶にとどめておきたいと思いました。 最近では、学研まんがのような子供向けの伝記として発売されましたが、 僕が小さかった頃は学研まんがの偉人の本にも載っていなくて、 これほどの人がなぜ今まで知られなかったのだろうと思いました。 ですので、杉原千畝という人物をもっといろいろな人に知ってもらいたいと 思いました。 |
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write:2016/11/21 | rewrite:- | update:2017/01/03 |