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37.信玄ミュージアム 常設展示室 | ||
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14日は、山梨県甲府市にある信玄ミュージアムに行ってきました。 最初に、武田信虎、武田信玄、武田勝頼のパネルがありました。武田信虎は、 父親の武田信縄(のぶつな)についても書かれていましたね。 武田信玄は、甲州法度之次第、信玄堤、無血クーデターで家督を相続したこと、 川中島の戦い、出家後の法名は「徳栄軒信玄」と名乗ったことが書かれて いました。武田勝頼は、長篠の戦い、天目山の戦いで自刃したことが 書かれていました。 武田家滅亡後は、織田信長の家臣河尻秀隆を知行地として割り当てるが、 一揆勢に討たれたこと、豊臣秀吉が統一後、徳川家康が治め、甲府城を築城 したこと、関ケ原の戦い後、平岩親吉が治めたことが書かれていました。 河尻秀隆は2ヶ月半、無主が6ヶ月弱、平岩親吉は7年7ヶ月、 羽柴秀勝は8ヶ月、加藤光泰は、2年4ヶ月、浅野長政・幸長は足かけ7年 の治世だったことが書かれていました。 あと、長篠の戦いが起きるまで、信玄から勝頼へ、武田勝頼の活躍について、 長篠城包囲と有海原の戦いのパネルがあり、信長も「勝頼はまだ若いが、 信玄の言いつけを守り、智謀があるので油断ならない」と評していたことが 書かれていました。やはり、武田勝頼はそれだけの名将なのですね。 武田氏館(躑躅ヶ崎館)跡の概要ですが、広くて大きい敷地に堀と土塁が 作られていて、幅約16mの堀と幅約20km、高さ12mの土塁があったと 書かれていました。本当に、城ではなく館とは言え、防備は堅固な造りに なっていたのだなという思いです。あと、西曲輪とか見ていたら、後の 大坂冬の陣での「真田丸」を彷彿とさせるものがありますね。 あと、武田氏と城、武田信玄の合戦のパネルがありました。武田信玄の合戦は、 第四次川中島の戦いと三方ヶ原の戦いが中心ですね。武田二十四将の奮戦と 戦死、城下町「甲府」についてのパネルや武田氏館からの出土物の展示も 少しありました。 今回は、武田信虎、武田信玄、武田勝頼の武田家三代について色々と知ること ができました。あと、武田氏館(躑躅ヶ崎館)についてや武田家滅亡後の 領主についても興味深かったです。そして、武田氏館の堅固さもなかなか 凄いと思ったりしました。 長篠の戦いと武田二十四将 こちら |
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write:2025/05/17 | rewrite:- | update:2025/07/07 |