33.東大寺で奈良・平安・鎌倉3つの時代の「僧坊」の跡
奈良の世界遺産「東大寺」で、大仏殿の北側の地区から、奈良・平安・鎌倉の
3つの時代の「僧坊」に使われていたとみられる建物の跡が発見されました

このエリアには、かつて、僧侶の住まいである「僧坊」や、仏教の教義などを
学ぶ建物があったとされていて、今年6月からエリア内の別の場所の工事を
行っていたところ、建物の存在を裏付ける大きな「礎石」が見つかりました。
礎石はもともと僧侶の宿舎「僧坊」があった場所で発見されていて、
部分的に火災の痕跡が確認できたことから、何度も同じ位置に建物が
建て替えられていたとみられています。

東大寺は大仏殿の建立から1300年近くの歴史で、何度も火災によって敷地内の
建物が消失していますが、今回見つかった礎石とその周辺からは、1180年に
平清盛が命じた「南都焼討(やきうち)」(※清盛の命を受けた平重衡ら
平氏軍が、東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼き討ちにした事件)
など、当時の火災の痕跡が確認されたほか、当時僧坊で僧侶たちが
使っていたとみられる茶わんや皿などの生活道具も発見されていると
いうことです。

僧坊は奈良時代の創建に伴い建てられたが、延喜17(917)年に焼失。
再建後の治承4(1180)年には平家による南都焼き打ちで再び失われた。
その後も再建されたが、永正5(1508)年に焼けて以降は建てられなかった。


今回発見された東大寺の「僧坊」に使われていたとみられる建物の跡ですが、
歴史的発見ということで、奈良・平安・鎌倉時代の僧侶たちはこのような
場所で仏教の教義などを学んだり食事をしたりとどのように生活を
していたのかが偲ばれますかね。1180年の平清盛が命じた東大寺焼き討ちの
痕跡もなかなか凄いです。

なので、また更なる調査で当時の僧侶の生活の一旦も明らかにして頂けたらと
思います。


【速報】東大寺で歴史的発見!奈良・平安・鎌倉3つの時代の「僧坊」の跡 平清盛“南都焼討”の痕跡も
こちら
write:2024/09/20 rewrite:- update:2025/01/31


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