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14.ローマ帝国の全盛期・五賢帝 | ||
今回は、歴史ネタ、1世紀末から2世紀頃のローマ帝国に君臨した五賢帝に ついて書こうと思います。 ●ネルウァ帝● 在位:96~98年 暴君と呼ばれた先代のドミティアヌス帝が死んだ後は、密告者の多くは殺され、 流刑にされていた人には大赦が行われるなど、その後の混乱を収拾し、 都会の貧者に土地を与えて元老院議員の処刑は行わないと誓い、道路や水道の 補修など地味な公共事業に着手しました。トラヤヌスを後継者としたが、 これは、ベールをかけたクーデターと言った方が良いかもしれません。 ●トラヤヌス帝● 在位:98~117年 初の属州(スペイン)出身の皇帝でダキア(現在のルーマニア)を属州と し、一時はメソポタミアの征服に成功しました。これによって、ローマの 領土は最大となりました。次のハドリアヌス帝は、メソポタミアの征服地を 放棄しました。内政では、イタリアの道路網を修復したり、貧者に生活必需品 を支給したり、子供たちのために養育基金を設立したりしました。 ●ハドリアヌス帝● 在位:117~138年 先代の拡大路線から安定路線に転じました。軍紀を引き締め、国境の警備を 強化することに成功し、またトラヤヌス帝が設立した養育基金を引き継ぎ、 さらに拡大しました。そして、苦労をいとわず、歴代のローマ皇帝の誰よりも 積極的に広大な領土を巡り、各政庁を視察しました。ブリタニア (現在のイギリス)にハドリアヌスの長城を築くなど属州の安寧と発展に 努めました。 ●アントニヌス=ピウス帝● 在位:138~161年 内政の安定と財政改革に努めました。必要とあれば抜け目のない、断固とした 態度が取れる人物だったが、公正で思いやりのある皇帝でもありました。 人々に非常に好かれ、強制よりも人々の同意を得て統治をおこないました。 ●マルクス=アウレリウス帝● 在位:161~180年 パルティアやゲルマン人の侵入などに苦しんだ。「哲人皇帝」と呼ばれる ストア派哲学者で「自省録(じせいろく)」を著した。169年まで共治帝 だった、ルキウス=ウェルスも有能な人だったようですね。 ネルウァ帝は、五賢帝の中でもそれほど大きな事績は残さなかったのですが、 トラヤヌスを後継者とする密かなクーデターによって五賢帝に選ばれたのかも しれませんね。トラヤヌス帝は拡大路線で最大の領土を獲得して、最も偉大な 皇帝となりましたね。ハドリアヌス帝とアントニヌス=ピウス帝は、 安定路線に努めてと異国に安定と平和をもたらしたのが良かったですね。 マルクス=アウレリウス帝は、大変な時期だったけど、なんとか帝国を維持 できた感じですかね。塩野七生の「ローマ人の物語」によれば、この頃から 帝国の衰退が始まったと書かれているみたいですね。 ローマ皇帝と言えば、「皇帝」と言うほどそんなに強くもなく、皇帝の 3分の2が殺されたり、変な死に方をしている中で、しっかりと帝国を 統治し、拡大と維持によって帝国を全盛期へと向かわせたのだと思いますし、 最期は普通に死んでいくことができた五賢帝は素晴らしいと思います。 その後は、コンモドゥス帝というネロ帝に匹敵する暴君が登場したり、 軍人皇帝時代という最低最悪の時代になったり、帝国が東西に分裂したり でどんどん衰退の道を進んでいくことになります。 ●参考文献● 「世界史用語集」 山川出版社 「ローマ皇帝歴代誌」 創元社 |
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write:2020/04/18 | rewrite:- | update:2020/05/06 |