39.古代エジプトの信仰と死生観
2日は、いわき市立美術館で開催された早稲田大学名誉教授の近藤二郎先生の
講演会に行ってきました。

近藤さんは、最初に吉村作治さんと50年仕事をしてきたということと、
エジプトは、サッカーと映画が盛んですが、アフリカではだんだんサッカーが
強いチームが出てきて1990年以降ワールドカップには出場していないと言って
おられました。

ナイル川は、白ナイル川と青ナイル川があり、スーダンの首都カルトゥームで
合流し、6月にエチオピアで雨が降り、7、8月に増水し、秋に種まきや
麦踏みをして、4、5月に収穫をするのですが、1960年にアスワンハイダムが
建設され、肥沃な土はダムの湖底で止まり、ナイルワニも湖底で止まっており、
1970年からは土に化学肥料を使っています。

あと、ナイル川は、長さが1000kmの地点で高さが100mの所にあり、日本は、
長さが100~200kmの地点で高さが3000mでナイル川と日本の川が違う。
また、ナイル川の下流は、隅田川ぐらいでクレオパトラとカエサルは、
アスワンのあたりで舟遊びをしていました。

スーダンの首都カルトゥームは、白ナイル川と青ナイル川が合流する地点
なので重要な土地でシーワオアシスに神殿(アメン神殿)を建てて神託を
聞いていました。

古代エジプト展は、たいていは、100~120点くらい展示されますが、
古代エジプト美術館展は、200点展示されており、日本に入ってくる物は、
小さくて質が良い水準の作品が多いです。第22王朝は、第18、19王朝の真似で
新王国時代の物とは少し違います。

古代エジプトと言えば、ピラミッド、ツタンカーメン、クレオパトラの
イメージで、あとは黄金、ミイラのイメージでその間がきちんと説明されて
いないことが多いです。クレオパトラは、ピラミッドの詳しいことは知らない、
そして我々は、500年、1000年の間隔がないと言っておられました。

末期王朝時代の人物のヘロドトスが書いた「歴史」ですが、誇張があり、
真実ではないことが多いのですが、当時のものなので、正確な記述も多い。

古代エジプトの年代は、決まっているようで、決まっていなく、ドイツの
ユルゲン、イギリスのイアン、スイスのエリクが提唱しているものがあるが、
基本的には、2200年前の神官のマネトーが書いたものを元にしているが、
個人的には、そろそろ変えた方が良いのではないかと思うと言っておられ
ました。○○時代は、ドイツ人、イギリス人が作ったものをそのまま使って
います。あと、実年代には誤差があり、年代がはっきり決まっているのは、
西アジアでB.C.7世紀、アジアではB.C.3世紀以降は「頃」を取っても良い
とされています。

「エジプトは、ナイルのたまもの」という言葉は、問題で、農業が優れていた
という意味ではなく、三角州が大きくなるという意味です。

ナイル川の氾濫で黒い土が運ばれ、沃土となり、8~9月には、土の中から
スカラベが出てきて、そのことから創造主とされました。そして、何もない
所から植物が再生するので、オシリス神は、緑色で描かれることが多く、
植物神だということを言っておられました。あと、世界は多神教が当たり前で
何にでも神にすることができ、身の回りに神の存在を感じています。
エジプトは、動物神が多く、人間の力を超えるものは神とし、鳥は、飛べる
能力があるので、鳥の神が多く、何千の神様がおり、八百万の神々がいました。

エジプトは、2つの相反するものでできていて真ん中がないというのが
エジプトの考えで、太陽神は、ラー、アトゥム、アテン。月の神はコンス、
トトがおり、学問、暦、文字の神とされました。星神は、ソプデトで
シリウス星のことで、ナイルの神はハピ、嵐の神はバアル、セトとされました。

エジプトはハヤブサの神が多く、天空を支配する特別な動物とされ、
セクメト女神は、恐怖の神であり、逆に病気を撃退できる癒しの神とも
されました。タウレトは、カバの神でカバは凶暴で古代には、デルタ地帯にも
いましたが、今はスーダンのあたりまでしかいません。

死生観は、死は、エジプト人にとっては恐怖であり、死んで再生復活をする
という死生観を持ち、そのために墓やミイラが作られました。太陽の再生は、
日の出、日の入りを見ていたので、西に沈んで死に、下天を通って、東から
登って再生する、という太陽信仰があった。

オシリスは、セトに殺されて体をバラバラにされるイシスがバラバラになった
体を集めて再生させて、その後ホルス神が生まれた。王はホルス神の化身で、
オシリス信仰は、古王国時代では、王族や貴族しか死後、オシリスに
なれなかったが、古王国時代末期には、中央集権が崩れて、誰でもオシリスに
なれるという信仰が生まれました。聖地はアビュドスで、アビュドス巡礼が
盛んに行われましたが、日本のお伊勢参りに近いもので、家族のためにステラ
を奉納し、全ての御利益のある神々のもとへ行っていました。2、3世紀に
キリスト教が入るまでは、オシリス信仰が盛んで、ホルスは地上の神、
オシリスは冥界の神とされました。

ミイラは、内臓を摘出してカノポス容器に収められましたが、心臓は脳と同じ
で考えたり、性格を表しているので、そのままミイラの中に収められました。
カノポス容器には、内臓は全部ではなく、一部を収めました。

シャブティは、「答える者」という意味で、本人に代わって農業を行うという
もので、初期王朝時代(第1王朝)は殉葬だったのが、古王国時代では
石灰岩製、古王国末期~中王国時代では木製になり、中王国時代でシャブティ
に変っていきました。初期王朝時代は、死後の王に仕える人を200~300人埋葬
していたが、次の王になった時には、前の王に仕えていた人が次の王に
仕えられないということで殉葬でしたが、それから召使の人形を埋葬する
ことになりました。1年は360日とされ、(そこから円が360度となった)
残りの5日は祭りの日とした。そのため、シャブティは、召使10体につき
監督を1体とし、1日1体×365+36体で401体を埋葬しました。

死後の世界は、我々は、西方浄土や天国は花咲く奇麗な所ですが、
古代エジプトでは、ナイル川が流れる場所であり、今住んでいる所が天国と
しました。

あと、インターナショナルは、英語ができることではなく、それぞれの価値観
が集まったものだと言われました。発掘については、王家の谷はだいたい
掘り尽くしたと言われますが、エジプト全体ではまだ発掘されていない所が
あり、古王国時代の墓の形はまだ分からないということ、プトレマイオス朝の
プトレマイオス1~15世、クレオパトラ、アレクサンドロス大王のミイラは
見つかっておらず、アレクサンドロス大王は奇麗なミイラだと言われている
ことを言われました。

今回の近藤先生の講話ですが、知っていることは今までの復習になりましたし、
今まで知らなくて、今回の話を聞いて知ったことも多くありました。そして、
信仰や死生観は、日本と共通する所もたくさんありますが、違う所も色々と
あるのだなと思いました。そのように興味深い話を色々と聞けて本当に
良かったです。また機会があればこのような講演会も聞いてみたいものです。


古代エジプト美術館展
こちら
write:2023/07/04 rewrite:- update:2023/08/19


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