22.ルネサンス時代と教皇
皆様は、「ローマ教皇」というとどのようなイメージを思い浮かべられる
でしょうか?カトリック教会の最高指導者というのが一番のイメージだと
思いますが、約250年前以前のローマ教皇は、それだけでなく、一国の君主、
一国の領主としての資質も必要でした。当時は、そのバランスが大事なの
ですが、ルネサンス時代は、そのバランスが崩れ、カトリック教会が世俗化し、
深刻な腐敗と堕落を招いてしまいました。今回は、5つのキーワードから
ルネサンス時代と教皇を見ていこうと思います。

●芸術家のパトロン●
この時期の歴代教皇は、芸術に力を入れており、アレクサンデル6世は、
ピントゥリッキョにボルジアの間を装飾させ、ユリウス2世は、
ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせ、パウルス3世は、
ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の壁に最後の審判を描かせています。
あと、レオ10世は、ラファエロを重用しています。

●ネポティズム(親族登用)●
この当時は、親族登用がさかんに行われました。親族の方が信頼できると
いうのがあるのでしょうが、自分の一族ばかりが利益を得ているということで
批判の的でもありました。カリストゥス3世は、甥を枢機卿に、
シクストゥス4世は6人の甥を枢機卿に、アレクサンデル6世は、息子を
枢機卿に、パウルス3世は、2人の孫を枢機卿にしています。さらに、
カリストゥス3世の甥のアレクサンデル6世、ピウス2世の甥のピウス3世、
シクストゥス4世の甥のユリウス2世と教皇の甥が3代続けて教皇に
なっていることも親族登用を象徴していると言えます。

●コンクラーヴェでの賄賂●
この時期は、コンクラーヴェ(教皇選挙会議)での賄賂が横行し、
アレクサンデル6世、ユリウス2世は、気前良く賄賂を贈り、聖職を約束し、
教皇の座に就いています。特にユリウス2世は、これまでの最短時間で
教皇に選出されています。あと、賄賂ではありませんが、レオ10世は、重病の
ふりをして、自分に票を集めるように仕向けています。

●贖宥状●
免罪符とも言われ、お金を払って買えば、全ての罪は赦されると言って販売
したものですが、シクストゥス4世から贖宥状を売り始め、レオ10世の時に
大量に販売されています。これが、プロテスタント側からの批判の対象に
されます。

●宗教改革・教会への批判●
最初は、ジロラモ・サヴォナローラからのものでした。宗教画に世俗的な
主題や官能性を持ち込んだことを批判し、アレクサンデル6世の時代に
カトリック教会の腐敗と堕落を批判し、攻撃しました。この時、
アレクサンデル6世は、サヴォナローラを破門し、処刑しました。
これが、宗教改革の先駆けと言えるものかもしれません。そしてレオ10世の
時には、贖宥状の販売のこともあり、マルティン・ルターから批判され、
95ヶ条の意見書を突き付けられます。レオ10世は、ルターも破門にしますが、
これが宗教改革となり、プロテスタントが生まれることになります。
ですが、カトリック側もこのままではいけないということでパウルス3世が、
トレント公会議を開催し、カトリックの改革へと動き出します。

このようにルネサンス時代の教皇は、まさに腐敗と堕落を招いてしまったの
ですが、また芸術家のパトロンとしてルネサンスの芸術を発展させることに
大きく貢献したという面もあり、良くもあり、悪くもありの時代ですが、
また、強烈な個性を持った教皇がたくさん登場した時代でもあったと思います。
ルネサンスの芸術を発展させたという良い面がありますが、あまりにも
世俗化してしまったという点で、まさに反面教師とする時代なのではない
でしょうか。そんな気がします。また、パウルス3世が始めた改革によって、
カトリック教会が再び立ち直ったことは本当に素晴らしいことだと思います。
write:2022/10/24 rewrite:- update:2022/11/05


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