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| 41.関ケ原で行われた戦い | ||
| だいぶ前ですが、マイミクの龍馬に俺はなる!さんが日記で「壬申の乱でも 関ケ原で戦いがあったのですよ」と書かれていました。なので、今回は それに連動する形で、関ケ原で行われた戦いについて書こうと思います。 「関ケ原で行われた戦い」ですが、NHKの歴史番組でやっていたのですが、 「関ケ原の戦い」のだったか「壬申の乱」のだったか忘れてしまいましたが、 関ケ原で戦いが5回あったというのを放送していた。その5回ですが、 ネットで調べても載っていませんでしたので、AIに聞いてみることにしました。 結果は、以下の通りでした。 <関ヶ原での代表的な5つの戦い> ●1. 壬申の乱(672年)● 大海人皇子(のちの天武天皇) vs 大友皇子(弘文天皇)。 大海人皇子が美濃(現・岐阜)から近江へ向かう途中、関ヶ原の地で軍勢が布陣。 一進一退の攻防があったと記録されており、日本最古の内戦のひとつ。 関ヶ原の地理的重要性がこの頃から知られていた証左。 ●2. 南北朝時代の戦い(1340年・観応の擾乱など)● 北朝・足利軍と南朝勢力が美濃周辺で衝突。 関ヶ原は交通の要衝であり、南朝軍の美濃侵攻時に戦闘が発生。 明確に「関ヶ原の戦い」として名付けられていないが、軍事行動が記録にある。 青野原の戦い(あおのがはらのたたかい)(1338年/延元3年/暦応元年) も含む。 ●3. 織田信長の時代の戦闘(16世紀中頃)● 信長が美濃攻略中、関ヶ原周辺で斎藤軍と小規模戦闘。 関ヶ原付近の山間部や街道沿いで局地戦が展開された可能性が高い。 ●4. 関ヶ原の戦い(1600年/慶長5年)● 言うまでもなく、日本最大の決戦の一つ。 東軍(徳川家康) vs 西軍(石田三成)による天下分け目の戦い。 約7万人 vs 約8万人の大軍が激突。 ●5. 戊辰戦争(1868年/慶応4年)における軍通過・小規模戦闘● 明治維新時、旧幕府軍と新政府軍が関ヶ原を通って西へ/東へ移動。 明確な大規模戦闘ではないが、関ヶ原の重要性が依然として高かったことを示す。 「関ヶ原の戦い」、「壬申の乱」、「南北朝時代の戦い」はそうですよねと いった所ですね。「南北朝時代の戦い」は、「青野原の戦い」という戦が あったのですね、と思いました。あと、「織田信長の時代」と「戊辰戦争」 でもあって、「戊辰戦争」は意外でした。 関ケ原でよく戦いが起こった要因としては、関ヶ原は、東西の交通の要所で、 中山道・北陸道の分岐点であり、東海道は関ケ原を通ってはいないものの、 その南側を通っており、30〜40km圏内の比較的近い場所を通っているため、 江戸時代でも中山道→東海道への接続は実際に使われていました。 なので、中山道・北陸道・東海道を通りやすく交通の便が本当に良い場所 だったのですね。 それと、地形的に軍が布陣しやすい開けた盆地という理由から、古代から 近代まで繰り返し軍事的に利用された土地でした。 こんな感じで、「関ケ原で行われた戦い」5つと戦いが起こりやすい要因を 見ていったらとても興味深い結果になったと思います。 よく、「天下分け目の関ケ原」とは言われますが、「関ヶ原の戦い」、 「壬申の乱」はまさにそれですよね。 | ||
| write:2025/08/24 | rewrite:- | update:2025/09/28 |