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35.継体天皇期の建物跡が出土「弟国宮」の候補地、しのばれる繁栄 | ||
6世紀初め、北陸から畿内に入り即位した継体天皇が置いたとされる 弟国宮(おとくにのみや)の候補地、京都府長岡京市の井ノ内遺跡から 同時期のものとみられる複数の竪穴建物跡と遺物が出土した。近くには 継体天皇の支援者の墓もあり、調査した京都府埋蔵文化財調査研究センターは 「謎多き継体天皇時代の地域の歴史を明らかにする貴重な史料だ」と評価する。 継体天皇は応神天皇の5世の孫とされ、北陸に居住したとされる。 先代の天皇に後継者がなく白羽の矢が立ったが、すぐに政治の中枢がある 大和(奈良県)に入ることなく、淀川流域などに都を移しながら勢力を拡大し、 大和に入ったとされる。 日本書紀によると、弟国宮は大和に入る前に置いた都の一つ。継体12(518)年 から8年間居住したとされ、長岡京市の今里、井ノ内地域が有力候補地。 このほか今回の調査で、長岡京期の二条大路の南側溝跡が出土した。 調査地は同京の西京極に近く、同溝跡としては最西端の発見という。 龍谷大の國下多美樹教授(考古学)は「今里、井ノ内地域は古墳時代の 住居跡の密度が濃く、当時の繁栄がしのばれる。継体天皇がなぜこの地を 都に選んだのか、その理由が今回の調査結果からも分かる」と述べた。 継体天皇が置いたとされる弟国宮(おとくにのみや)の候補地の井ノ内遺跡 から複数の竪穴建物跡と遺物が出土とは、素晴らしい発見だと思います。 確かに、継体天皇がなぜこの地を都に選んだのかの理由も解明して もらいたいものです。また、今後の発掘や研究の成果を楽しみにしています。 継体天皇期の建物跡が出土「弟国宮」の候補地、しのばれる繁栄 こちら |
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write:2025/02/19 | rewrite:- | update:2025/03/31 |