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3.ハトシェプスト女王のミイラを特定 | ||
今さっき「古代エジプト」コミュニティを見て知ったのですが、 1903年にエジプト南部ルクソールの「王家の谷」で発見されたミイラ がハトシェプスト女王のものと特定されました。 ハトシェプスト女王は、紀元前1500年頃在位の女王で最初は ファラオ(王)トトメス2世の妻となり、王の死後跡を継いだ まだ幼少のトトメス3世の摂政となりました。 当初は幼少の王の補佐役となっていたのですが、早い時期に トトメス3世を当時の首都であるテーベから引き離して 政治から遠ざけ、自ら王権を主張してエジプトを治めた女王です。 女王は、交易中心の政策をとり、公の場では男装を していたとも言われています。 その後女王は、紀元前1482年頃にトトメス3世によって失脚 させられたとも言われ、女王が在位中に残した彫像や レリーフ(浮彫りの彫刻画)の大半が破壊されました。 自分としては女王のミイラはトトメス3世あたりに あたりに破壊されてもおかしくないと思っていたので この発見は本当に凄いと思いました。 しかも発見したのはツタンカーメン王墓を発見した ハワード・カーターだったのも驚きです。 ハワード・カーターって2つの大きな発見をしていたのですね。 この女王については、存在を抹消された形跡があり、 他の王よりも謎な部分も多いと思いますので、 今回のミイラの特定をきっかけにさらに女王に関する 新しい事実が発見されれば良いですね。 ミイラといえば、アクエンアテンのものが発見されませんかね? たぶん難しいと思うが…。 |
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write:2007/06/28 | rewrite:- | update:開設日 |