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| 20.教皇が生きづらかった時代、鉄世紀 | ||
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今回は、歴史ネタ、ローマ教皇史における「鉄世紀」について書こうと 思います。 「鉄世紀」ですが、枢機卿バロニウスがその著書「教会年代記 (Annales ecclesiastic)」において「教皇権鉄の時代」と呼びなしたことに よるもので、「鉄世紀」とか「鉄の時代」とも呼ばれます。この時期は、 ローマではクレスケンティウス、テオフィラクトゥスといった有力貴族が その政治的野望を達成するために、あるいはそれを妨害せんとする教皇に 報復するために、教皇を勝手気ままに選出、廃位、殺害していた時期です。 時期としては、「ローマ教皇事典」では、867~964年、ヨハネス12世が 亡くなるまでとしていますが、僕は、個人的には 対立教皇ボニファティウス7世が亡くなるまでの985年までとしても 良いように思えます。その間に殺害された、殺害されたと思われる教皇は 10人に上ります。 そんな「鉄世紀」を象徴する出来事として4つ、死体裁判、 教皇ステファヌス8世(9世)の殺害、ヨハネス12世の廃位、 対立教皇ボニファティウス7世の登場があると思います。 ●死体裁判● イタリア中部スポレトのグイード3世は、ステファヌス5世(6世)に 強いて自分を皇帝に戴冠させたが、892年には次の教皇フォルモススに 息子ランベルトを副皇帝に戴冠させるよう迫りました。そこでフォルモススは 東フランク王のアルヌルフに助けを求めますが、アルヌルフが脳溢血のため 達成できず、フォルモススも894年4月に死去します。そして、次の次の 教皇ステファヌス6世(7世)は、ランベルトの傀儡でランベルトはこの 教皇を利用して、897年フォルモススの遺体を掘り起こして、教皇の衣服を 着せて裁判を行う「死体裁判」を行いました。フォルモススは有罪とされ、 死体の手足を切断した時にイタリアに地震が起こり、これこそ神の怒りだと 信じたローマ市民が暴動を起こしてステファヌス6世(7世)の廃位を 要求しました。スポレト派はステファヌス6世(7世)を廃位、絞殺して います。フォルモススの遺体は、テヴェレ川に投げ込まれましたが、数日後、 一人の隠修士によってサンピエトロ大聖堂の墓所に埋葬されます。 ●教皇ステファヌス8世(9世)の殺害● 教皇ステファヌス8世(9世)は、ローマを意のままに操っていた貴族の アルベリック2世によって教皇位につけられたが、942年10月に唐突に死去 しています。アルベリック2世の不興を買って廃位され、手足を切断されて 絞殺あるいは餓死されられたものと思われます。 ●ヨハネス12世の廃位● アルベリック2世の私生児で、臨終の床で、その私生児を次の教皇に するように誓わせ、教皇に就任しました。それがヨハネス12世です。 ヨハネス12世は。ドイツ王オットー1世を神聖ローマ皇帝として戴冠し、 同盟を結びますが、963年、ヨハネス12世がイタリア王ベレンガリオの息子と 陰謀をめぐらしていることを知って激怒したオットー1世は、ヨハネス12世を 廃位し、レオ8世を教皇に立てました。翌年、ヨハネス12世がレオ8世を 追放し、一時教皇位に返り咲いたがその年のうちに27歳で脳卒中で亡くなって しまいますが、殺されたのではないかとも言われています。 ●対立教皇ボニファティウス7世の登場● 対立教皇ボニファティウス7世は、クレスケンティウス家の後ろ盾で教皇に なりましたが、皇帝派は、ベネディクトゥス6世を選びます。そこで クレスケンティウス家ベネディクトゥス6世を捕らえ、ボニファティウス7世 を聖別します。そしてベネディクトゥス6世を殺害します。これに怒った ローマ市民は、ボニファティウス7世を追放しますが、984年に復位し、 時の教皇ヨハネス14世を殺害します。こうして1年ほど教皇の座に居座り ますが、985年に暗殺されたか暴徒に殺されたかで亡くなっています。 「鉄世紀」ですが、このように廃位や殺害が多く行われて、まさに 教皇としては生きづらい時代だったと思います。それは、鉄世紀から東西教会 分裂までに47人が教皇に就いたこと、教皇の在位期間の平均は3年10ヶ月と いうことからも明らかです。この時代の教皇は、教皇職を後の世代につなげた ことが最大の功績とも言われていますが、まさにその通りだと思います。 後には、インノケンティウス3世やボニファティウス8世が登場し、教皇権が 全盛期を迎えたり、アレクサンデル6世やユリウス2世といった強烈な個性を 持ったルネサンス期の教皇が登場したりしますので、それもこの暗黒時代が あったからだと思います。教皇史の血塗られた1ページですが、それをも 乗り越えて教皇職を強いものにし、今に繋がっているのだと思います。 <追記> こちらの日記ですが、色々と抜け落ちていた所がありましたので改訂版を 書きました。なので、こちらを参照して下さい。こちらの日記は、自分の 悪い面や失敗、間違いも残しておきたいということで前の記録として残して おきます。 (2026.02.08 追加) |
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| write:2021/01/24 | rewrite:2026/02/08 | update:2026/02/08 |