2023/12/05 陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-
中国にも陰陽師、陰陽寮があって、日本の陰陽師、陰陽寮もこれに由来し、
占い(式占)、呪術、祀怨、暦日、方角禁忌の指南を仕事しており、
天武天皇が陰陽寮を創設し、星を観測する占星台を設置したことや、
中国から朝鮮半島を経て日本に伝えられたことも書かれていました。

令集解、日本書紀、大唐陰陽書、易経、卜筮書(ぼくぜいしょ)、御堂関白記
は、字が奇麗で占いについて書かれているかなという感じでした。
春日権現験記絵は、将門記、日本三大実録(清和天皇、陽成天皇、光孝天皇
の三代について書かれた歴史書)は、絵が奇麗でした。

賀茂保憲(かものやすのり)と安倍晴明は、賀茂氏系図や本が展示されて
いました。鎌倉時代には、武家にも広がっていきました。そして、応仁の乱
の後は、地方へ行き、勘解由小路家は、山口の大内氏、相模の北条氏のもとに
身を寄せたと書かれていました。御杣始之儀絵図は、奇麗でした。

安倍晴明の子孫の土御門家は、天和3(1683)年に幕府、朝廷から陰陽道本所
として「免許」を発したと書かれていました。

霊元天皇綸旨は、黒い字で少々荒い感じはしますが、気品のある字だと
思います。徳川綱吉朱印状は、こんなのあったんだと思ったりしました。
土御門家屋敷図は、シンプルですが、広く大きい屋敷だなと思ったり。

応長二年仮名暦は、名前らしきものがびっしりと書かれていますね。
代将軍神像は、武者といった感じで強そうです。あと、式神、算木、
筮竹(ぜいちく)などの占い(式占)の道具も展示されていました。
陰陽師の装束は、白くて奇麗でした。袴は赤茶色ですかね。

そして、陰陽師は、諮問を受けた場合、即座にその場で判断するのではなく、
状況と照らし合わせて、中国の典籍など、判断のための典籍を参照して、
慎重に回答するということが書かれていました。

あと、陰陽道の書物や呪詛、かわらけなど、呪術やまじないで使う品が
展示されていました。絵巻物はどれも奇麗でした。

安倍泰親(やすちか)は、安倍晴明より五代後の人物で中興の祖という
ことが書かれていました。安倍晴明がまじないをしている所の模型は
凄かったです。式神もきちんと作られていて丁寧でした。
安倍晴明公御神像は、見たことある、有名な肖像画だなと思いました。
凛々しい感じがします。

あと、安倍晴明のライバルの蘆屋道満(あしやどうまん)のことや
安倍晴明にゆかりの本について書かれていました。晴明伝説についても
書かれており、太平洋や瀬戸内海、九州北部に伝わっており、関東でも
色々な伝説が伝わっていることや、近世になると出版が活発になり、
陰陽師たちの間だけで参照されてきた知識が多くの人の目に触れるように
なったと書かれていました。

歳徳神・八将神像は、色々と細かくて奇麗でした。歳徳神と言えば、
自分が最初に入社した会社からもらったカレンダーに描いてありましたね。

近世の観測器具は、テレビで渋川春海について取り上げられた時に見たりして、
テレビで見たことあると思いながら見ていました。天文図・世界図屏風は、
現在の物を知っている自分たちから見れば、微妙に違うけどだいたい合ってる
かなという印象です。

平安時代以来800年にわたって宣明暦法に基づく暦計算法が使われていたが、
江戸時代には幕府の天文方が貞享改暦(1685年)を行った。日本書紀によると、
元嘉暦と儀鳳暦を併用し、持統天皇4(690)年以来、中国の暦法を使って
暦が作られた。大衍暦(だいえんれき)、五紀暦、宣明暦による改暦が
それにあたる。

そして、近世には、天文方という天文に関する役所が幕府のなかに設置され、
造暦や改暦を担当し、柱暦、引札暦、大小暦といった見て楽しめる暦が
生まれたのも近世の特徴だということが書かれていました。

渋川春海の改暦については、貞観4(862)年から、823年間にわたって使われた
宣明暦から貞享元(1684)年に貞享暦に改暦されたことが書かれていました。
あと、暦師も全国にいて、暦師同士の争いがあったことも書かれていました。

あと、土御門配下の多くの陰陽師が、明治3(1870)年閏10月の天社神道廃止令
により、保障された身分と特権を廃止され歴史の表舞台から消えていった
ことが書かれていました。

陰陽師たちが消えてから150年が経ちますが、陰陽師たちが残していった
ものは、宇宙や自然と向き合いながらわたしたちを取りまく未来へと
関わろうとした姿勢、よりよく未来を希望のあるものにするために努力を
重ねてきたことが書かれていました。

陰陽師は、様々な術を駆使し、そして宇宙や星の動きを観測して暦を
造ったりして、様々な場面で朝廷、幕府、庶民の日常のために役立つ
存在だったのだなという思いですし、陰陽師の歴史や日本における改暦の
歴史もとても興味深いものでした。そして、陰陽師たちが残していった
ものは大きいものだなと思いました。それでも、やはり陰陽師というのは
不思議な存在だというのは、改めて思いました。


四国遍路・文化遺産へのみちゆき
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write:2024/02/06 rewrite:- update:2024/04/09


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