11.平安時代の他氏排斥事件について
平安時代といえばあまり人気のない時代でつまらないという評判をよく
聞きます。ですが、僕はそんなことはないと思います。
平安時代は平安時代なりに面白いと思いますし、寝殿造で暮らす
貴族たちの優雅な感じがまた良かったりします。
そんな平安時代のキモの部分といえば藤原氏北家による「他氏排斥事件」
だと思います。「他氏排斥事件」は主なもので6つあります。

●薬子の変(810年)●
平城(へいぜい)上皇の側近藤原仲成(なかなり)・薬子が、天皇への復位と
平城京への還都を企てた事件でこの事件を境に北家が台頭、式家が没落した。

●承和の変(842年)●
藤原良房が皇太子を廃し、その側近伴健岑(とものこわみね)・
橘逸勢(たちばなのはやなり)を配流。

●応天門の変(866年)●
左大臣源信(みなもとのまこと)が放火したと訴えた伴善男が、密告で
真犯人とされ配流された事件。この事件で紀豊城(きのとよき)も配流と
なる。応天門の変の収拾を理由に、良房が正式に摂政に就任した。

●阿衡の紛議(887年)●
関白任命をめぐる、宇多天皇と藤原基経の暗闘事件で、天皇側近の
橘広相(たちばなのひろみ)の処罰で決着した。

●昌泰(しょうたい)の変(901年)●
醍醐天皇の時、右大臣菅原道真が左大臣の藤原時平の讒言で
大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷された事件。

●安和の変(969年)●
陰謀ありとの密告で左大臣の源高明が大宰府に左遷された事件。
これで藤原北家による他氏排斥が完了、以後摂関常置となる

[ゴロ](今日は)薬子嬢(くすこじょう)に/逢(お)うて/明日がアンナ
(薬子(くすこ)の変・承和(じょうわ)の変)(応天門(おうてんもん)の変)
(阿衡(あこう)の紛議(ふんぎ)・菅原道真(すがわらのみちざね)左遷)
(安和(あんな)の変)

と、こんな感じで藤原氏は他氏を排斥し、権力の座を勝ち取るわけですが、
本当にすさまじいですね。井沢元彦が書いた「逆説の日本史」によると
藤原氏が一番追い落としたのは源氏のようですね。そんなわけでこれが
後の道長の望月の歌へとつながっていくことになります。と言っても、
兄や甥といったライバル達がいて道長の人生も決して順風満帆では
ないのですがね。追い落とされた方はたまったものではないのですが、
平安時代を味わうひとつのキーはここになるのではないでしょうか
そんな気がします。

参考文献
<東海林直人のゴロテマ日本史>
藤原北家の台頭(6事件年代順)の覚え方
http://homepage1.nifty.com/sagi/index.htmlhttp://blog.goo.ne.jp/thropus2/e/f59aac4721399baa234d46c2cbfd1e78
write:2014/11/09 rewrite:- update:2015/01/05


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