130.小林幸子の2015年の紅白歌合戦復帰について
   
小林幸子が今年で歌手人生60周年を迎えました。おめでとうございます。
ここまでの歌手人生ですが、デビュー曲は売れましたが、その後15年間は
売れず、1979年の「おもいで酒」でようやくヒット曲を手にして、
これから紅白歌合戦では、だんだん豪華衣装になっていくなどの活動を
してきましたが、今回はちょうど良いタイミングかなと思いましたので、
今さらですが、2015年の紅白歌合戦復帰について書こうと思います。

小林幸子の紅白歌合戦は、1979年の「おもいで酒」以来、2011年まで33回
連続で出場してきましたが、2015年には34回目、4年ぶりの出場で
ボーカロイド曲の「千本桜」を歌いました。2015年の紅白歌合戦復帰は、
mixiのニュースでもあがりましたが、その時のコメントとして
「小林幸子は実力で紅白復帰を果たした」と書かれていた方がいましたが、
僕の考えでは「実力」と言うよりは「戦略の勝利」ではないかと思います。

小林幸子ですが、33回目の紅白歌合戦出場を果たした翌年の2012年ですが、
自分の所属事務所の「幸子プロモーション」の社長と幹部を解任することに
なり、それが大きな騒動となって叩かれて、新曲もなかなかリリースできない
状況になっていました。

曲提供をしてくれる作家さんもほとんどいなくて、さだまさしさんただ1人
だけが手を差し伸べて「茨の木」を曲提供をしてくれました。そして、
翌年の2013年もさだまさしさんが「蛍前線」を提供をし、2014年になって
ようやく他の作家さんからも曲提供をしてくれるようになりました。

2015年からは、「夢レコード」に移籍して、それからは歌謡曲路線の曲が
中心になって、今年に新曲「オシャンティ・マイティガール」をリリース
して現在に至っています。

そのようないきさつでしたが、2012年からは不遇の3年間を過ごしましたが、
その間に小林幸子の歌手人生を大きく変えることになった運命の出会い。
それが「ニコニコ動画」で、2012年に初めてニコニコ動画の番組にゲスト
として登場していました。

それからはボーカロイド曲のカバーに挑戦したりしましたが、ネット世代の
若者たちから「ラスボス」の愛称で親しまれていました。紅白歌合戦での
豪華絢爛な衣装が、ゲームの最後に登場する最強の難敵、ラスボスを彷彿と
させるというのが、その所以ですが、それもあってのニコニコ動画での成功
だったとも思いますし、それが2015年の紅白歌合戦復帰につながり、
「千本桜」を歌唱することになりました。

なので、「実力」と言うよりは「戦略の勝利」かなといった所ですが、
この戦略は、僕は本当に良かったと思います。やはり、今まで演歌歌手が
誰もやってこなかったことに挑戦し、そして成功を収め、それが評価されての
紅白歌合戦復帰だったと思いますので、そのようなことに挑戦してきた
小林幸子は凄いと思いますし、素晴らしいと思います。

今年で歌手人生60周年を迎えましたが、色々と大変だったこともありましたが、
2015年にリリースした「色々あるけど会いたいよ」の歌詞で「色々あったと
笑えるさ 強くなったよ私」を歌っており、1つ苦難を乗り越えて良かったと
思いますし、あの騒動は、今思えば禍を転じて福と為したのかなという
思いです。

まだまだこれからも歌手として、ニコニコ動画での出演など、色々な分野で
活躍してくれると思いますし、これからは良い感じで活動ができることを
願っています。これからも頑張ってもらいたいです。


小林幸子「歌手人生60年〈ニコ動に出るようになったら終わりだ〉と言われても、演歌もボカロ曲も、自分の歌で皆に楽しんでもらえれば本望」
こちら

歌手デビュー60周年を迎えた小林幸子、AI化した“自分自身”と対話 「思い出の旅は果てしなく続く」
こちら
write:2024/11/06 rewrite:- update:2025/01/31


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