昨年4月17日は、筑波大学人文社会学系棟で開催された
「西アジア文明研究センター」という講演会に行ってきました。
今回の講演はエジプト学者の河合望さんの講演です。
サッカラ遺跡とは、階段ピラミッドがある場所で、紀元前2650年ぐらいに
造られた最古のピラミッドで、それから長い時間をかけてたくさんの墓地が
造られました。最大の墓地、ネクロポリスでクレーターみたいに古代の遺構が
あり、無尽蔵に未発掘の墓があり、毎年のようにニュースになっています。
カイロから60km南にナイル川の西岸のメンフィスあたりが中王国時代のものに
なるが、初期王朝時代のメンフィスはここにあったのではないかということで
ボーリング調査を行いました。
墓は西側だけではなく、東側にも造られました。東側に墓を造ることも
問題はなかった。
ウォルター・ブライアン・エマリーは、サッカラで第1、2王朝のマスタバ墓
を発見しています。アビドスに王墓があって、サッカラには高官の墓が
あります。第2王朝からは王墓も発見されるが、カセケムイ王は、アビドスに
王墓を造ります。
ジェセル王の階段ピラミッド周辺には交換の墓があり、中王国時代には、
古王国時代の王を神として崇拝していました。テティ王の墓の隣に葬祭神殿が
造られ、ウナス王のピラミッドの参道に第18、19王朝の高官の墓が造られて
います。
5~7mの厚さで重要な遺構が長い間ありました。初期王朝時代から
古王国時代は、第2、3王朝の墓、新王国時代の高官の墓には、壁面に文字や
図像が残っている墓があり、そこから時代の再構築をしています。
北サッカラ遺跡の発掘は、20世紀の発掘だけだと古代エジプトの社会は
分からなくて、そのくらい多種多様な墓があり、どのように造られたか、
遺物や遺構から調査しています。
人物、建築、古代ゲノムなどをエジプトと共同で調査し、ガラス、
ファイアンスなどの遺物、遺構の保存、修復を行い、
レーザースキャンやフォトグラメトリを使用して調査を行いました。
サッカラでの調査をスペイン人、イタリア人など海外の人にも興味を持って
くれており、チームに入ってもらい、お互いに研究を発展させています。
新王国時代の歴史、ルクソール、テーベでネクロポリスがあり、1000を超える
墓が発見され、パピルス、壁面の文書がりましたが、当時の中心はメンフィス
であり、あまり調査が進んでいませんでした。
メンフィスは、トトメス1世が王宮を建設し、トトメス3世は北と西で宰相を
2人にしました。行政、経済の中心でメンフィスは重要です。
アマルナは、都が放棄された時にメンフィスに都を移しています。
第18王朝の北はヒクソスが支配しており、アヴァリスや後のペル・ラメセスが
築かれる地域を拠点としていましたが、第17王朝の王が戦闘を挑み、
20年くらい戦闘が続いたが、カーメスの弟のイアフメス1世が撃退しました。
テーベは聖地でよく調査されていたが、サッカラはあまり発掘されて
いなかった。いませんでした。ラメセス2世の高官の墓やその時代の岩窟墓、
テティ王の墓のあたりもカエムワセトの葬祭殿やイシスネフェルトの墓を
発見しました。ホルエムヘブの墓、マヤの墓など、ツタンカーメン時代の
遺構が発見されたと思われていました。
サッカラの新王国時代の墓地の調査は分かっていなかったが、発掘権を得る
ことができました。GPSの発信をもって調査し、新王国時代の土器が出ている
所やド・モルガンが作成したサッカラ遺跡地図から調査すると、
土器や遺物が集中しており、10ヘクタールありました。
セラペウムがあり、メンフィスで崇拝されていたプタハ神を祀り、
創造神プタハ神の化身とされる黒い体に白い三角形の斑点などの特徴を持つ
聖牛アピスをミイラにしていました。
2022年に第5次調査として30m地下の調査を行い、斜面に液体、
岩窟墓に液体があり、そのあたりに入口がありました。
ローマ時代の土器が同じ層から出土し、遺体を2体発見しました。
そこから土器片が出土し、紀元1~4世紀のローマ時代のテラコッタを
発見しました。テラコッタ製のイシス・アフロディーテ像が発見されました。
液体があった所の真下にアーチ状の遺構を発見しました。
南と北に液体通路があったと思われます。
2019年8月に再開して東を掘ったら、人骨や遺構などを発見しました。
階段状の入口を発見し、カタコンベ、集団墓地、埋葬墓地を発見し、
封鎖壁の跡があり、200~300年の間に利用されてその都度封鎖をしていました。
我々が発見するまで、現近代まで誰も発見することができませんでした。
昔のはきちんと見ていないが今はしっかりと見ています。
軒蛇腹のあたりにステラがあり、新王国時代のものかと思われたが、
メネラオスという人物に捧げられたステラで、アヌビス神、トト神、
ソカル神が描かれています。元々はヒエログリフの碑文があったかも
しれません。
テラコッタや土器片があったが、盗掘者が持っていこうと移動した
イシス・アフロディーテ像が発見されました。これは、イシス女神と
女神アフロディーテが習合したものでプトレマイオス朝時代に
アレクサンドリアで篤く信仰されました。キリスト教時代の前は、
西アジアやローマの神は篤く信仰されていました。
ライオンがガーディアンとなっているカタコンベを発見しましたが、天井が
崩れそうだったので、鉄骨を組んでから調査しました。重要な物は
取り出しました。ハルポクラテス、ギリシアのブドウの房を持った
デメトリオスのステラを発見し、ギリシア・ローマの影響が強いものに
なっています。
凸版印刷や3D測量をして、クリーニングをしてから現状を記録しました。
測量は今やらないと、ステラや人骨、棺がどこにあるのか分からなく
なります。
封鎖壁は漆喰があってスタンプがありました。上部には穴があり、木の棒が
あって布で隠したと思われます。「Mystion」と書かれているようで、
薄くギリシア語で書かれています。中には棺と人骨があり、ディオドロスの
息子ディオドロスと書いてありました。また、ギリシア・ローマの女神の
足の像、メネシテアのステラヘロイデスのステラが発見され、「ヘロイデス」
は、ヘロデ王と関係している名前です。
あと、カルトナージュのマスクやテラコッタ像が見つかって大量生産されて
います。これは3つの時代に分けられますが、これについては調査中、
現在進行形でまだ発表できない状況です。
まだ未盗掘の墓室がありますが、これから調査でファイバスコープを入れて
調査しましたが、詳細はトップシークレットです。
あと、プトレマイオス朝の王かローマ皇帝化のコインが発見され、チャペルは
太陽円盤で装飾されており、ミイラも発見されています。
聖牛アピスをはじめとする動物の墓地もあり、復旧できなくて衰退して
いました。別の場所で聖牛アピスの埋葬をしていました。
4世紀にキリスト教の修築を形成し、多神教からキリスト教の間のものでした。
また、第2、3王朝のマスタバ墓を発見しましたが、岩盤の状態のようで
別の西側から掘っていました。ビール壺が発見され、第2王朝末から第3王朝
初期にかけてものもでした。このあたりは2025年8、9月の調査で中を
調査する予定です。
NST02は、屈葬で埋葬された遺体が発見され、先王朝時代か第2、3王朝の
もので、牛と鳥の骨がアバラスター製の容器の上にあり、死者のための供物
となっています。NST04は、次のシーズンで中を発掘調査します。
NST06は、掘っていたら封鎖がありました。こちらも次のシーズンで中を
発掘調査します。
初期王朝時代や古王国時代の墓は、斜面では確認されなかったが、高官や
身分の低い人の墓がたくさん発見されています。新王国時代は、おととい
見つかった土壙墓で第18王朝前半のものと思われ、子供の人骨や人型棺が
発見され、棺の表面の彩色が土にへばりついていてストライプ状の
リシコフィンの棺でした。第18王朝のリシ棺はサッカラでは2例目です。
第18王朝の土壙墓は、マスタバ墓を利用しており、初期王朝時代のマスタバ墓
に新王国時代の遺物があります。よく、バスケットに入っている幼児の
埋葬が発見されています。トトメス3世の治世の頃、同じ時代の人の埋葬と
土器が発見されました。棺はありませんでした。
末期王朝時代、グレコ・ローマン時代は、斜面上部のマスクから年代を特定
できたが、土器はありませんでした。レンガの墓があり、土器もレンガで、
ミイラ化されていない人骨も発見されました。コプト時代のものもあり、
そのミイラではないかと思われます。その下に古い物があります。
そこを調査することで墓の発見が分かります。レンガの尾根があり、そこに
土壙墓ができました。
先王朝時代からローマ時代まで遺構や墓が残っています。第2、3王朝の
知られていない墓や岩窟墓があり、精度の高い方法で発掘調査をしていきたい
と思い、今注目されています。
今回は、河合望さんが携わっているサッカラでの発掘の成果についての講演
でしたが、先王朝時代からローマ時代まで様々な墓が発見されていて
様々な遺物が発見されていて本当に驚きました。特に斜面の層に色々な時代の
遺構があるのが興味深かったです。
あと、「NST02」、「NST04」、「NST06」の内部の調査や未盗掘の墓室の
詳細はその後どうなっているのか、そして「3つの時代に分けられる」と
いうのがどのように分けられるのか、今後の調査の結果が楽しみです。
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