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13.あこがれの人物 足利義政 | ||
今回は、歴史上の人物、足利義政について書こうと思います。 足利義政は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍 で、幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ人です。 幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、 自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人でした。 当初の義政は祖父の3代将軍足利義満や父の6代将軍足利義教の政策を 復活させようと試みたのですが、三魔と呼ばれる乳母の今参局(御今)、 烏丸資任、有馬持家(おいま、からすま、ありまと、「ま」がつく3人を 三魔と称した)や母・重子と正室・富子の実家の日野家、有力な守護大名等が 政治に介入していき、将軍としての政治の主導権を握るのが困難でした。 そのためでしょうか、政治を疎み、弟の義視に将軍職を譲ろうと養子に するのですが翌年には富子が義尚を出産。これが相続争いとなり応仁の乱の きっかけになり、幕府は衰退していくのでした。 その反面、文化面では功績を残しています。庭師の善阿弥や狩野派の絵師 狩野正信、土佐派の土佐光信、宗湛、能楽者の音阿弥、横川景三らを召抱え、 東山の地に東山殿を築きました(後に慈照寺となり、銀閣、東求堂が現在に 残っています)。この時代の文化は、金閣に代表される3代義満時代の 華やかな北山文化に対し、銀閣に代表されるわび・さびに重きをおいた 「東山文化」と呼ばれています。 こんな足利義政ですが、政治家としては、疎むようになって将軍職を 放り出そうとしたのだからそこは無責任で良くないのですが、文化面では その身分を問わず重用し、また見る目も一流で「東山文化」を築いた人として 本当に素晴らしいと思います。そしてここまで自分の趣味を極めたことは 正直自分にとってあこがれの人物でもあります。 この人ですが、生まれた家を間違えてしまったように思えます。 そういう人物はほかにもいまして、大内義隆や源実朝もそうですかね。 足利義政については、政治面では反面教師とし、やるべきことは最低限 やるようにして趣味の面では見倣っていけるようになりたいと思います。 |
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write:2015/07/04 | rewrite:- | update:2015/08/02 |