2007/02/10 ミイラと古代エジプト展
今日は、上野の国立科学博物館でやっている「ミイラと古代エジプト展」
に行ってきました。今回の展覧会には前から行きたいと思っていたのですが、ずるずると日を伸ばしてしまい、やっと今日、行くことができました。

最初は、イントロダクションとして、3Dシアターについて、ミイラや
死生観について、エジプト文明についての解説をやっていました。

次は、3Dシアターに入って、ネスペルエンネブウとそのミイラについて、
ミイラをCTスキャンして判明したことなどを解説していました。

ネスペルエンネブウは、紀元前780年頃、第23王朝(*1)のオソルコン3世
の治世の頃の人でカルナックにあるコンス(*2)神殿の神官で
重要な役割を果たしていた人物です。
ミイラのCTスキャンによって以下のことが判明しました。
・身長は165cm前後、年齢は40台中頃の男性
・歯の病気に悩まされており、脊柱側湾症のために歩行が困難だった
・死因は、頭蓋骨の内側に小さな穴があるが、外側まで開いていない
 ことから脳腫瘍だったのではないかということ
・ミイラの中に、様々な護符などが一緒に入れられたこと
・ミイラ作りのために一度取り出して塩漬けにされた内蔵をミイラの体内に
 戻していること
・ミイラ作りのために使う液体状の松ヤニを受けるための器をミイラの
 後頭部にそのまま放置していた為にミイラとくっついて
 取れなくなってしまった。これは大変な失態のため、
 ばれないようにそのままの状態で急いでミイラにしたこと

これまでは、ミイラの包帯をほどいて調査を行っていたのですが、
今ではCTスキャンをすることによって、ミイラを損傷することなく
これだけの情報を得ることができることに驚きました。
今の科学技術って凄いものですね。
あと、器がミイラの後頭部にくっついたエピソードが面白かったです。
それから、CTスキャンのデータをもとに復元された顔も
紹介されたのですが(左の写真)、穏やかで優しそうな印象でした。
上手く説明できないのですが、特徴的だけど、こんな顔の人だったら
どこかにいそうな感じもしました。

その後、大英博物館が所蔵している展示物を見てきました。
展示物には、神官が使用する祭儀の用具、神々や王の彫像、
お守りや護符、首飾り、カノポス容器(*3)や
シャブティ像(*4、右の写真)、死者の書が記されたパピルス、
ミイラの棺やミイラがありました。
展示物のなかにはロゼッタストーン(*5)の複製もあり、
自分が思ってたよりも大きいものなのだな…と思いました。
あと、シトゥラ(中の写真)という祭儀の用具が本当に綺麗でした。
印象に残ったのが、アクエンアテン王(*7)の指輪でした。
アクエンアテン王は大好きなので、この指輪は
じっくりと見てしまいました。
それから、ローマ支配時代(*8)の動物のミイラも展示してありましたが、
ローマ支配時代になってもまだミイラ作りって行われてたのですね。

死生観についてですが、細かい点で違いはありますが、
以下の点では他の宗教と共通するものがあるかなと思いました。
・死後、来世で復活し、永遠の命を得る
・来世で復活するために、生前の行いによって審判が下される
・審判によって、悪と判断された場合、復活できず、
 滅びへの道を行く

最後に会場内のショップで「古代エジプトのファラオ(*9)」という本
を買ってきました。立ち読みしてたら面白そうだと
思ったので。

この展覧会ですが、古代エジプトやミイラに興味がある人は
見に行く事をおすすめします。

上野では、残り1週間ぐらいですが、3/17から
神戸市立博物館でも開催されます。



*1:第23王朝
紀元前818年頃にリビア人によって、レオントポリスに建てられた王朝。
同じくリビア人によって、タニスに建てられた第22王朝と並存していた。
古代エジプトは、神官マネトーによって、第1~30の王朝に区分
され、現在もこの時代区分が使用されている
(中には31、32王朝まで区分しているものもある)。

*2:コンス神(Khons、 Chons)
古代エジプトの月の神。幼児の髪型をしたミイラの姿、
または隼の頭を持った姿で描かれる。

*3:カノポス容器(canopic jars)
ミイラから取り出した内臓を保管するための容器

*4:シャブティ像(shabti)
死者が来世で生活するにあたって、死者のために働く召使いの人形

*5:ロゼッタストーン(Rosetta Stone)
1799年にナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、
フランス軍のピエール=フランソワ・ブシャール大尉によって
エジプトのロゼッタという町で発見された石碑。
ヒエログリフ(*6)、民衆文字(デモティック)、
古代ギリシャ語の3つの言語で書かれている。
1822年に、ジャン=フランソワ・シャンポリオンによって
ヒエログリフ解読されるきっかけとなった石碑。

*6:ヒエログリフ(hieroglyph)
古代エジプトで使用された動物や植物など様々な物を形で表した象形文字

*7:アクエンアテン王(Akhenaten)
第18王朝(前1570~前1293年頃)の王でツタンカーメン王より
2代前の王。これまでの宗教は、アメン・ラー神を中心とする
多神教だったが、権力が増大したアメン神官に対抗する為に
アテン神を唯一の神とする宗教改革を行った。
あまりにも急激な改革だった為に10年で挫折する。
その後、アメン信仰に戻され、アテン信仰とそれに関わった王
としてアクエンアテン、スメンクカラー、ツタンカーメン、
アイの4人の王の痕跡は抹消された。

*8:ローマ支配時代
後に初代ローマ皇帝となるオクタヴィアヌスによって
古代エジプト最後の王朝プトレマイオス朝(前305~前30年)
が滅ぼされた後は、ローマ帝国による支配となった。
紀元前30年から始まる。

*9:ファラオ(Pharaoh)
古代エジプトの王のこと。
「大きな家」を意味する「ペル・アア」がギリシア語に転じたもの
write:2007/02/10 rewrite:- update:開設日


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