18.アクエンアテン
今回は、古代エジプトの王、アクエンアテンについて書こうと思います。

アクエンアテンは、B.C.1350年頃~B.C.1334年頃に在位したファラオ(王)で
アメンヘテプ3世と王妃ティイとの間に生まれた次男で、ツタンカーメンの
父親にあたります。当初の名前はアメンヘテプ4世でした。

そして、即位してからは、これまではアメン神を中心とする多神教だった
ものをアテン神を唯一の神とする一神教とする宗教改革を行いました。
治世5年には、名前も「アテン神に有用な者」を意味する「アクエンアテン」
に改名し、都もテーベ(現ルクソール)からエジプト中部のアテトアテン
(現テル・エル・アマルナ)に遷都しました。そのことからこの時代を
アマルナ時代と呼びます。そしてアクエンアテンは後に「異端のファラオ」と
呼ばれるようになります。

アテン信仰とキリスト教、イスラム教の母体となるユダヤ教とは、
共通する部分があり、一神教であることやアテン讃歌と旧約聖書の詩篇104番
がよく似ていることから、どちらかがどちらかに影響を与えたのではないかと
思われます。

治世9年には本格的ににアテン信仰を推し進めるもあまりにも急激な
改革だったため10年くらいで失敗に終わってしまいます。
そして、アクエンアテン、スメンクカラー、ツタンカーメン、アイ
(あとネフェルネフェルアテン女王も??)といったアテン信仰に関わった
王の名は削除されてしまいます。

これは自分の想像なのですが、よく「アクエンアテンのアテン信仰が
エジプトに混乱をもたらした」ということが書かれているものがありますが、
僕はアクエンアテンが即位した時点でエジプト繁栄の裏でもうすでに
何らかの混乱は起こっていたのではないかと考えています。
それこそ先代のアメンヘテプ3世の治世晩年あたりから起こっていたのでは
ないかと思います。その考えについては、「消されたファラオ」という本に
よる所が大きいです。

アクエンアテンですが、歴史上の人物では大好きな人であり、何か
ひかれるものがあります。あの当時の美術から家族思いの優しい人だったの
かなと思いますし、民衆にも優しい王様だったのではないかと思います
(やり方は間違ってはいたものの)。そして、宗教改革という大胆な
ことを施行したこの精力的な所は本当に敬意に値しますし、他の人が
やらない異端なことを成し遂げた人として本当に魅力のある人物だと
思います。

アクエンアテンは、精力的に動いていく所は見習って、失敗した部分は
教訓として生かせればと思っています。


参考文献
・創元社 ピーター・クレイトン「古代エジプト ファラオ歴代誌」
・弥呂久 松本弥「古代エジプトのファラオ」
・朝日新聞社 グレアム・フィリップス「消されたファラオ」
・集英社 河合望「ツタンカーメン 少年王の謎」
write:2014/06/16 rewrite:- update:2014/06/16


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