18.教皇グレゴリウス1世の教え
今回の日記ですが、書いた内容の性格上、カトリックの教義にも触れなければ
ならないものでした。ですので、その点、ご了承いただければと思います。
また、この日記はカトリックの信仰を強制、強要するものではございません。
基本的に僕自身がカトリックが好きなので、「自分はこうありたいと
思っている」と考えていただければと思います。



僕の洗礼名である「大グレゴリオ」こと教皇グレゴリウス1世ですが、
グレゴリウス1世の事績について書かれた「大グレゴリウス小伝」や
グレゴリウス1世による福音書の説教集である「福音書講和」という本を
読んでいたら、グレゴリウス1世がいかに独特でかつ分かりやすい教え方を
しているかというのが分かります。

例えば、『「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる」ここで谷とは
謙遜な人を指し、山と丘とは、高慢な人を指している。それで、救い主の
来臨に際して、谷は埋められ、山と丘とは低くされた、主が言っておられる
とおり、「誰でも高ぶる者は低くされへりくだる者は高められる」からである。』
と教えられました。まさに「高ぶる者は低くされへりくだる者は高められる」
というのを谷や山と丘で分かりやすく教えられていると思います。

また、イエス様がお生まれになった時に、東方から3人の博士たちが来られて
赤子のイエス様に黄金、乳香、没薬を献げたことについては、
『もしお生まれになった王の前で優れた明るい知恵をもっと光り輝くならば、
その王に黄金を献げることになる。また、聖なる祈りに徹することによって
心の祭壇で肉的な思いを焼き尽くし、天上のものへの希望という甘美な
香りを神に献げることができれば、乳香を献げることになる。さらに、
肉欲を節制によって抑制するならば、没薬を献げることになる。
なぜなら、没薬は遺体の腐敗を防ぐものだからである。遺体が腐敗することは、
この死すべき肉体がしまりのない淫欲に仕えることを意味する。』
と教えられました。それを読んだ時は、明るい知恵や祈りや肉欲の節制など
神様のためになることをやることが黄金、乳香、没薬を献げることに
なるのではないかと思いました。

それから、煉獄の教えについては、死者の魂を清める火はあるかと
尋ねられた時、それを肯定しており、それ以来、煉獄はキリスト教徒の
信仰において重要な場を占めることになり、『生存者が捧げさせる30回のミサ
によって煉獄にいる魂は煉獄の火から救われうる』と述べられました。
連続して30回間ミサを捧げるいわゆる「グレゴリオ・ミサ」の起源は
ここにあります。このような煉獄の教えは、決して完全ではない私たち
一人一人にとっては大きな希望になるように思えました。

また、グレゴリウス1世は大病人であり、胃病、微熱、痛風に苦しみ、
特に晩年は胃病に苦しみましたが、そのために、病む人々に対しては
思いやりと理解ある態度を示しました。このような苦しみは、
グレゴリウス1世にとっては弱い人々を思いやることができる神様からの
恵みに変えていたように思います。そのような所が素晴らしいです。

グレゴリウス1世は、このように、独特でかつ分かりやすい教え方で時には
人々に希望を与え、また時には厳しく諭したりして本当に素晴らしい教えを
説いた人だと思います。人々のことを思いやればこそのことだと思いました。
僕自身は、どこまで教えを実行できるか分かりませんが、これらの教えを
大切にし、できる限り実行できるようになっていきたいと思います。

●参考文献●
「大グレゴリウス小伝」 知泉書館
「福音書講和」 創文社
write:2020/11/20 rewrite:- update:2020/11/30


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