11.高山右近と金沢教会
僕の地元は富山県ですが、実家が富山県の西部にあるため、隣の石川県も
自分にとっては地元のようなもので、金沢まで車で1時間でいける距離に
あります。僕が百合ヶ丘教会に来る前に所属していました金沢教会ですが、
高山右近をとても身近に感じられる教会です。金沢教会には高山右近の
像が教会の前に建っていたり、教会の中にあるステンドグラスには
細川ガラシャと共に高山右近のものもあったりして高山右近を偲ぶことが
できる教会となっています。そして、たまにですが、ミサの閉会の時に
高山右近を讃える歌を歌ったりしたこともあります。

高山右近が金沢にゆかりが深いのは1587年の豊臣秀吉の伴天連追放令によって
領地を没収され、1588年に前田家に預けとなってからでした。
前田利家は右近を客将として、以後26年間手厚く庇護しました。
そして、右近は金沢で宣教活動を行ったリ、知行地として与えられた能登でも
宣教活動を行っていました。そして、1614年にフィリピンのマニラに追放と
なり、その地で亡くなりました。

高山右近没後400年にあたる2015年、日本のカトリック中央協議会は
「高山右近は、地位を捨てて信仰を貫いた殉教者である」として、
福者に認定するようローマ教皇庁に申請し、2016年1月22日に
教皇フランシスコが認可しました。そして、2017年2月7日に大阪府大阪市の
大阪城ホールで列福式が執り行われ、列福式には、教皇代理として教皇庁
列聖省長官のアンジェロ・アマート枢機卿が来日して司式しました。

高山右近は僕にとっても身近な人物ですので、こうして殉教者として
福者になれたのはとても嬉しいことです。高山右近の信仰の深さには
本当に驚かされます。領地を失ってでもキリストの信仰を守り、
そして国外追放となってもその信仰が失われなかったのですから
本当に素晴らしいです。僕はどちらかと言えば自分のものになるとそれに
しがみつき気味になるので右近のそういう所は見習っていきたい所です。
そして、次は聖人になれるよう祈り続けたいと思います。
write:2017/02/18 rewrite:- update:2017/03/04


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